バスと儂とニュータウン
優先座席へ腰掛ける儂の横には女子高生がいた。
紺のセーラー服を着崩さずにきっちりと着込んでいるところに好感をもてる。
あまり不躾にみるわけにもいかず、バスの外に目をやる。
ペットタウンの合間に大型小売店が足ち並び、少し先にいったところにはショッピング・モールも建設されておる。
都市計画区域に選定され、ここ十年ほどで町は様変わりしてしていきおった。
丘陵地帯として五十年ほど前にニュータウン化が進み、住居と産業の複合開発地域として、森林は開拓されていった。
儂はその開発地域で募集のあった住宅団地に今も住んでおる。
しかし、ほとんど昔ながらのツレはおらん。
住み始めた当時は町の開発が進み、便利な事が増えていき、人口も膨らんでいきおった。まだあの時代は働けば働くだけ世の中も活気付いておったゆえ、勢いばかりが先行していた様にも思うの。
しかし、働き盛りをすぎ、子ども達が成人を迎えて町を出て行き始めた頃、様相は一変した。
人工都市の宿命というべきか、ファミリー層ばかりの若い町だと思っておったこの町は三十年も経つ頃には年寄りしかいない町になり果ててしまった。
もともと、サラリーマン世帯が多く、隣近所の付き合いも少なく、移動は車が基本であり、スーパーマーケットの規模は大きくとも数は限られており、大きな病院も遠い場所にしかなく、年をとればとるほど住み辛い町になりおった。
その為、やむおえず他の地域へと住処をうつすものが後をたたなかった。
儂はまだ体は丈夫な方で、目も悪くなかったので、車の運転も問題なく婆さんと二人で静かにこの町で暮らしていた。
けどもその婆さんも五年ほど前に亡くなってしもうた。
そうすると不思議なもんで、体に活力というものがじょじょに失われてしもうた。
そら、当たり前じゃな。結婚して五十年、儂らは細々と坦々と生きてきたのだから。
婆さんがいなければ、儂の中で思い出せないもの、表にだせないものがたくさんでてくる。
婆さんが死んだのと同時に儂の中心にあった大事な部分がもがれた。
まあ、仕方ない。
そういうものじゃ。
最近は足腰も目も悪くなって、儂はバスを利用するようになった。
ここ十年ほどで再開発がすすみ、新たな開発地域もうまれて、住みやすさが一新されおった。
子どもが巣立って、婆さんと二人、年寄りに優しくないこの町の不便さをなげいたものじゃが、いかんせん、便利になった反面、失ったものもある。
年老いて二人で歩いた林道や、登り切った丘から見える夕焼けの鮮やかさのようなものは、もう崩され、大きなコンクリートの建物に装飾されたLEDの機械的な明かりに照らされて、かつての風景はみる事はかなわん。
そういったものが年月とともに増えていき、儂の中でだんだんと記憶が封じられていくようになる。
人は何かを忘れるより、何かを思い出せなくなるほうが多くなる。
それは記憶力が悪くなる以上に、時代が儂らをとどまらせてくれないからじゃ。
だからこそ残り僅かとなった日々で、儂は手帳を取り出し、思い出せる過去を書き記す。
ニュータウンの老人が新たな町へと埋没していく今を残せたらと思う。
願わくば次の過去になる老人に対し救いとなる言葉を記せるように。
穏やかに最後の時を刻めるように。
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