忘れ去られた少年にとっての理想のピザ。
子供時代ピザはほとんど食べられなかった。
普通の子供の例に漏れる事無く、ハンバーガーなんかと同じく、味の濃い、舌をガツンと喜ばせてくれる存在に、どうしようもなく心惹かれていた。
けれど、ジャンクフードを好ましく思っていなかった母親は息子に買い与えたりすることもなく、僕はいつもテレビから流れてくるCMを妬ましく眺めていたのを覚えている。
親戚の家で出された宅配ピザを母親の冷たい視線をかいくぐり、どうにか親戚にお願いして少し冷めた物を僅かばかりの量だけ、どこか肩身狭く食べていた思い出がある。
それは理想とは程遠く、どこか苦い味がした。
大人になって神戸で就職する事になり、ピザを食べる機会が増えた。
ナポリピザの名店が多くて、モッツァレラチーズとトマトが新鮮で、シンプルに美味しい一枚をペロリと食べる。どれも洗練されていて、港町神戸のオシャレ感ともマッチして、気分よく開放的に食べられた。
でも、どこか満たされない感覚があった。
やっぱり子供時代の印象は強烈でアメリカンなサラミや肉や、たまねぎ、ピーマンなんかがたっぷりのった美味しいやつをがっつり食べてみたいのだ。
機会がやってきた。
新婚旅行がハワイに決まった。
ヒルトンハワイアンヴィレッジにあるラウンドテーブルピザでその出会いがあった。
出されたピザは、もう肉や野菜がこれでもかというくらい敷き詰められ、どんっ!と迫力ある一枚が鎮座している。
その圧倒的ビジュアルの説得力。
子供時代食べたかった理想そのものだ。
むさぼるように食べて、ひっきりなしにコーラーで流し込んだ。
奥さんの驚いたような顔が視界に入っていたが、それを気にしている余裕がなかった。
美味しかった。とにかく美味しかった。
ただ、普通に美味しかった訳じゃない。
満たされていなかった私の中の小さな子供が、「これだよ! これ! これが食べたかったんだよ!」と心底喜んでいる。
それが今の私を貫いて、心からの満足を得たのだ。
涙をにじませながら、食べることになるとは思わなかった。
きっと味だけいえば、あのピザより美味しいところはきっとあるんだろう。
けど、そういう事じゃない。
あの時、あの瞬間、子供時代の私を満たしてくれた一枚はこのピザしか世界に存在しないのだ。
貴重な体験だった。
日本に帰り、今は自由に頼める宅配ピザを食べる。
そうするとハワイで感じたあの感覚を少し思い出して、少し幸せな気持ちになれるのだ。
合わせてお読みください。