ろぽん日和

気ままに雑記ブログ

ハンバーガーって孤独じゃない

 僕はハンバーガーが好きだ。

 焼肉よりステーキよりハンバーグよりハンバーガーが好きだ。

 何が好きだって、あの積み重なった味の重層感がたまらなく僕の舌に喜びをもたらす。

 バンズの柔らかさに歯を沈め、その後に来るレタスのシャキシャキ感が気持ちよく、トマトの酸味に、パティから染み出る肉汁が口内に流れ込み、ソースの甘辛さが刺激となって、ハーモニーを奏で出す。

 口の中でいくつもの刺激が味覚となって合流して、得もいえない多幸感を生み出して、心が満ち満ちてくる。

 個人的にはトッピングにアボガドやチーズがあれば最高で、お腹に余裕があればパティをダブルでいきたいところだ。

 ビジュアル的にも高さがあり、彩り豊かで、見応えがあり、その形がダイレクトに口の中に納められるのも魅力だろう。

 また、それをコーラーなんかで流し込んだら最高だろう。

 甘い炭酸が口の中で弾けながら、ハンバーガーの後味を最高に引き立て、これ以上ないジャンクな瞬間を味わえる。

 こんなに食べ応えがある食べ物ってないだろう。

 けれどハンバーガーが好きな理由はそれだけでは不十分だ。

 僕にとってのハンバーガーとは特別なものなのだ。

 好きなものだからというより、多分、大人になった今も僕にとって、ハンバーガーは憧れみたいなものだから。

 僕の親は食事に対して厳しかった。

 好き嫌いというものを認めなかったし、出されたものは必ず皿をきれいにしなければいけなかった。そして、塩分濃度や食事のバランスにもうるさい親だったので、お菓子やジュースといった食べ物にも大きく制約がかかっており、食べられる量や日時などが厳格に決められていた。

 駄菓子屋というものがあったけれど、それを購入する事も中々出来なくて、仮にこっそり食べて、それがばれたら大きな罰がまっていたところだ。

 なので、ジャンクフードといったものを食べられる機会がほとんどなかった。

 その中で半年に一度くらい食べられるのが許されたのがハンバーガーだった。

 外食自身がめったになく、大手チェーン店で展開されている玩具がおまけでついてくるという事もあり、親にお得感があったのかもしれない。いつもトレーにのって包装紙でくるまれた楕円形のそれが、まるで宝物のようにきらめいていみえた。

 初めて食べた時のおいしさと、少しでも長く味わおうと何度もかみ締めたあの時間、周りの友達が当たり前のように触れいていたものに自分も触れる事ができた喜びを今でも忘れられない。

 両親もこの時はジャンクフードを食べる僕を許してくれて、同じ様に弟が喜んで食べている。この瞬間はいつものようにどこか緊張感のある食事風景はなくて、とても穏やかで弛緩した、暖かな日差しのような時間が流れていた。

 あの時から僕の中でハンバーガーは特別になった。

 だから、親元を離れて一人で暮らしている今の僕にとって、ハンバーガーを食べている時はお腹と胸を一杯にできる。

 僕にとってハンバーガーは一人を忘れさせてくれる、そんな味だ。

 

 

バスとボクと裏山

里帰りの事を考えていた。

今年の年末年始に実家に帰省するのだが、どうだろう?

先延ばしに出来ないだろうか。

親がうるさいのでそれは許されないよなーと思う。

多分、戻らないと生活費振り込まれなくなりそうなのが、怖いので、無理だ。

夏休みの時はなんとか逃げ切れたけど、今回はうまい理由がみつからない。

 

まあ、実家から出なければいいか。

偶然会う事もないだろうし。

 

高校三年生の卒業式の事を思い出し、ため息が出た。

隣に座っているおばさんはどこか物思いに耽っている様だが、こちらも負けじとって感じだ。

 

高校生活、最後の一年で仲のいい女子がいた。

その子は、どこにいても目立つ子で、クラス内でもヒエラルキーの高い集団の中にいて、みんなから注目されるような立ち位置の子だった。

僕はというと、友達も少ないし、特徴らしい特徴もない。目立たなくひっそりと貝みたいにクラスでは過ごしていた。

接点なんてなかったのだけど、あれは夏休みが始まる前の事だったと思う。

その日は図書館で大学の推薦で必要な小論文の勉強していて、帰りが遅くなっていた。

ゆっくりと沈んでいく初夏の日没がきれいで、少し寄り道をして帰ろうと思ったのだ。

学校の裏山からきれいにのぞけるスポットがあったので、そちらに足を向けた。

 

その道中に泣いている彼女と出会ってしまった。

沈みゆく夕焼けをバックにして、うろこ雲が放射状に広がり、その真ん中に一人立って、泣いていた。とても儚いものをみた気がした。

制服からみえるその細いシルエットと、少しウェーブがかかった金糸のように色づいた髪がきらきらと輝いて、濡れた瞳が大きく揺れて、光を散らす。

目に焼きついて、はじめて人間に釘付けになった。

 

ボクは本当は立ち去るべきだったんだけど、呆けてしまって、彼女に気づかれた。

何事もないように振舞って、泣いている理由なんて聞ける訳もなくて、ハンカチだけ渡して、ボクはその場を後にした。

 

次の日に彼女からハンカチをかえされて、挨拶くらいするようになった。

 

ちゃんと彼女と話したのは、その二週間後、また学校の裏山での事だった。

他愛もない話をした。彼女の好きなドラマの話や、好きな芸能人の話、好きな食べ物など、主に彼女がなにが好きかという話だった。

その中でも、特別好きなのが彼女の姉であるという事だ。7つほど年の離れた姉妹で、姉からはとてもかわいがられたらしい。両親が共働きで多くの場面で、彼女を育ててくれたのは姉だったようだ。

子どもの時に姉からもらったピンキーリングを今も大事にお守りがわりにポーチにいれているといっていた。

その姉は一年前に結婚して、今は妊娠して実家に戻っているらしく、旦那さんは少し離れた場所に住んでいるそうだ。

 

姉の話をしている時の彼女の顔はとても楽しいそうで、嬉しそうだった。

普段大人びてみえる彼女が幼くみえてしまうくらいに、相手の事を深く信頼しているのが分かった。ただ、時折、白い食器に僅かにヒビが入るような、それこそ見る位置を間違えれば見落としそうなくらいの、悲痛がにじんで見えた。

 

何度もその裏山で話していくうちに、彼女が悩んでいる事が分かった。

彼女には好きな人がいた。

 

誰が好きなのかというと、最悪で姉の旦那を好きになったらしい。

一目惚れだったようだ。

はじめて会ったその時にどうしようもなく好きになってしまったらしい。

もうかれこれ一年片思いをしている。

 

けれど、最近、姉のかわりに旦那の家に家事をしにいったそうだ。

姉から様子をみてくるように頼まれて、スマホからの連絡に齟齬がないかを確認にいった。しかしそこで旦那と彼女には関係ができてしまった。最後までは及ばなかったようだが、明らかに気持ちの入った行為に及ぼうとした様だ。

ボクはその事を聞いても、彼女を責めなかった。

彼女にとってボクは井戸だ。

友達や家族には話せる内容ではないから、ただ秘密をぶちまけて、聞いてほしいだけなのだろう。

王様の耳がロバだからといって、ボクは誰かに吹聴するつもりなんてない。

ボクが吐き出したいのはそういう事ではない。

 

彼女は微妙な関係になった旦那と関係を戻せずに苦しんでいた。

話を聞いている限りでは旦那は彼女が自分を好きな事を察していて、二人きりの時に関係を迫ったようだ。その時に流されそうになった彼女はなんとか、自制したようだが、それでも気持ちが駄目だといっていた。

嫌いになれないと。

今でも好きだと。

最低な事をする人なのに……でも許してしまいそうになる自分が怖い。

そういっていた。

 

彼女との帰り際に偶然その旦那と出会った。

 

そこでもっともらしく気遣いのできる大人を演じ、自分の車に彼女を乗せようとした。ボクは持っている鞄をフルスイングして、旦那のこめかめを打ち抜き、「少しはこいつの気持ちも考えろ!」と人通りの多い往来でボクは彼女の手を掴んで、そのまま走って逃げた。

 

その後、その事が問題になって学校に呼び出され、推薦は諦めなくてはならなくなった。また、往来で大の大人を殴り飛ばして怪我をさせたと、危ない奴認定を受けて、クラスでは浮いた存在になった。

田舎の高校だったおかげで、その手の話しはまわりやすい。

まあ、いい。

どうせたいして友達もいないし、合格した大学はここから遠く離れたところになる。

 

あれから彼女とはロクに話をせずに別れた。

裏山にいかなかったし、連絡先も交換していなかったので、関係は切れた。

でも、いいのだ。

彼女はきっと怒っているだろうけど、後悔はない。

 

殴り飛ばして、怒鳴りつけた時の旦那の顔を思い出す。

バッタみたいに仰向けなって、怒鳴られた俺の言葉に怯えていた。

非常にみっともない様だった。

他人に不倫未遂行為がばれそうになって、みっともなくうろたえている顔だったから。

あれをみて少しは彼女の熱が冷めてしまう事を願う。

 

ボクははじめクラスメイトである彼女の事をなんとも思っていなかった。

ただクラスが一緒なだけで、目立つ意外のことは知るよしもなかった。

でも、あの時、初夏の日没でみた彼女のあの姿に心を鷲掴みされた。

ああ、人を好きになるって理屈じゃないんだなっと思った

そして、大好きな姉の夫であるその人と関係を結びそうになる彼女に対して、最低な気持ちになるのに嫌いにはなれない。

結局、彼女とボクは同じ様なものだ。

 

だから今回のはボクのエゴだ。

好きな人間が堕ちていく姿なんてみたくないから、あんな風に衝動で動いてしまった。そして、それでも仮に彼女が旦那の事を忘れられないというのなら、多分ボクは受け止めきれないのだ。

だから、ボクは彼女と何も話さず、町を出た。

本当、勝手な男だなボクは。

 

そして地元に戻りづらいのも僕がまだその事を割り切れずにいるからだ。

どこかで彼女の話を聞いてしまいたくないと思ってしまっている。

本当、情けない男だな、ボクってやつは。

 

まあ、いいや。

そもそも友達が少ないボクが、他の人からヒエラルキーの高かった彼女のプライベートな話を聞ける立場にはいまい。

それに実家では寝正月ですごせばいいだけの話だ。

そうやって気持ちもねかせておこう。

いずれ区切りがつくその時まで。

 

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更新日:2018年11月29日

 

バスとアタシと母親

35歳になった。

子どもを二人授かって、長男は小学校高学年となり、体も大きくなって、もう体力的にはかなわない。長女はまだ小学校低学年だが、親のアタシがいうのもなんだが、利発な子でこちらのほうがバカみたいに思えるときがある。

一番手のかかる時期を脱したので、アタシはパートに出ている。

今はパート先であるスーパーからの帰りだ。

このバスに揺られている時間が唯一、アタシが一人物思いにふける時になる。

 

アタシは23で結婚して、24で長男を産んだ。

そこからこの年まであっというまだった。

23からだから、ちょうどその年齢だった時の半生くらいの時は流れた事になるけれど、経ってしまえばすぐの話になる。きっと子どもが受験して、成人して、就職して、結婚して、なんていう人生のライフサイクルが過ぎ去るのも早く感じていくことになるのだろう。

子ども達との事を思い出すと、その時々に応じて思う事はたくさんあれど、過ぎ去ってしまえばそんなものだ。

 

アタシは別に今、これから先の想定される未来を嫌がっている訳ではない。

そうであってほしいと心から願っている。

ただ、思ったよりも平凡な人生を歩んでいるから、自分の人生をみつめなおしたくなるだけだ。

 

アタシには昔、戸籍がなかった。

母親はある人物の愛人で、身ごもってはいけない子を身ごもってしまった。

それがアタシだ。

父親は政財界に強い影響力をもつ人だと聞いていたが、具体的なことをアタシは知らない。

 

母親は当時、堕ろす事もできず、大きくなっていくお腹を隠しながら、不安を抱えたまま眠れない日々を過ごしたらしい。ごまかしきれなくなってきた母親は妊娠した体で遠くに逃げ、偽名で借りていたビジネスホテルの風呂場でアタシを産み落とした様だ。

 

 赤ん坊を抱えた母親はその後、一人自分の住むべき場所をみつける為、放浪して、一つのアパートに辿り着き、そこでなんとか暮らせるようになった。

そのアパートのオーナーが趣味でやっているラウンジで働かせてもらい、生活費を稼いでいたようだ。

この頃アタシは3歳になっていたが、ほとんど一人でいたように思う。

アパートのオーナーがたまに様子をみてきてくれたようだが、アタシのぼんやりとした当時の記憶の中では、オーナーの存在はなくて、母親とアタシ以外の人間の記憶はない。

よく母親が死んだように眠っていた記憶だけが残っている。呼吸も浅い人だったので、抱きついて心臓の音を確認して、ほっとしていた気持ちを今でも忘れずに覚えている。

 

アタシが7歳の頃、母親に恋人ができた。

それまでも何人かそれらしい人はいたのだが、その全てはうまくいかず、母親が子どものようにアタシに抱きつき泣いていたのを覚えている。

今度の人は違うといって、その人の好きな食べ物が食卓に並ぶ事が多かった。

やきそばやお好み焼きなどの粉物が多かったように思う。

 

ある時から、その恋人がいりびたるようになり、二人だけだった空間が三人になった。

タバコをよく吸う人で、吸殻をカップラーメンの汁で消すような人だった。

タバコとインスタント食品の臭いがまじりあい、すえた鼻の奥に残る嫌な感じが部屋に充満していた。

アタシはいつも競馬新聞を片手にしているその男がとても苦手だったように思える。

でも、母親はその男の事がとても好きなようで、よく尽くしていた。

その人とは結局1年は続いたと記憶している。

最後のほうは喧嘩が耐えなくて、ずっとお金の話をしていた。

母親はその男のギャンブルで失ったお金を補填する形で、ほうぼうにお金を借りてしまっていたようだ。

決定的になったのはアタシが喘息を発症して、それでも男がタバコを吸い続けたのが原因で母親はとうとうその男を家から追い出してしまった。男と別れた日は母親の大きな泣き声が耳に痛かった。

 

元々余裕のなかった暮らしは男、と暮らした1年で膨らんだ借金のせいで、苦しくなった。その上、アタシが喘息になってしまい、薬をどこからか入手し続けてくる必要があった。戸籍のないアタシには健康保険もないので、普通に病院にかかる訳もいかなくて、その分のお金も稼がなくてはならない。

その為、母親はアルバイトの数を増やし、昼夜問わず働いた。

この頃、ほとんど母親と話した記憶がなく、アタシは喘息だけじゃなくて、人と話す事がなかったので、うまく声を発する事が出来なかった。

そうこうしている内に母親が倒れた。

過労だ。

状況は絶望的で、母親はこの頃、死ぬ事を考えていたようだ。

でもそういう一番辛い時には助けが入るようで、母親に対して求婚を申し込んできた男性がいた。

その人は細い体をしていて、優しげで体が弱そうな顔をした人だった。

ラウンジの常連さんがたまに連れてくる人だった様で、母親よりも若い実直なサラリーマンだった。

母親は当初その申し出を断っていたのだが、意外と押しの強い男性に寄り切られ、何度かデートをする事になって、結婚する事になった。

 

9歳になる頃、アタシはこの男性と出会った。

この人はアタシが無戸籍で、母親が危険な父親から逃げてきた事を知った上で、アタシの事を娘にしたのだ。9年遅れの出生届が受理され、アタシはようやく苗字と名前というものが与えられた。

 

小学校に通い、義務教育課程でおいつけていなかった勉強もこの男性にみてもらっていた。話し方や常識みたいなものを教えてくれた初めての大人だった。

ただ、男性は当初、アタシにとても厳しかった。

前の彼氏はアタシに甘く、すぐにパチンコであてたお菓子やぬいぐるみをくれるような人だったので、アタシは大人に直接、怒られた経験がなく、よく泣いた。

それでも許してくれず、勉強や運動を毎日課せられる日々だった。

男性がどんなに遅く帰ってきても、あたしの連絡帳には必ず、文章や漢字の間違いが書かれていたし、与えられた宿題に対してもしっかり採点されていた。毎日一日もかかさず、何度アタシが間違えても繰り返し繰り返し、付き合ってくれた。

とても優しい人だったのだ。

人間として、まともな教育を受けていなかったアタシをなんとかすくい上げようと、いつもアタシの前に手を伸ばしてくれていた。

 

今のアタシがあるのはこの男性のおかげだ。

 

なんとか中学にあがる頃には周りの学力に追いつき、運動して体力もついて喘息もおさまっていた。

 

でも、アタシの母親という奴はどうしようもない人間で、アタシがそこそこいい公立高校に受かった時に浮気をした。男性――アタシの恩人はひどく傷ついたのだが、それを咎めはしなかった。そのかわりアタシがひどく怒ったのだ。

母親は許しをこいて泣いて謝った。こんな事は二度としない、出来心だったと。

恩人が母親をせめなかったので、アタシはそれ以上せめる訳にもいかず、「こういう事をもう二度としないで」というだけにとどめた。

それが間違いだった。

母親はまた、浮気をしたのだ。

今度はそっちが本命になった。

 

母親と恩人は何度かの話し合いのもと、別れる事になった。

アタシが高校3年生の頃だ。

アタシは思いつく限りの言葉で母親をなじり、罵詈雑言が尽きる事なく、攻めに攻めた。

母親は、はじめは謝り、何度も謝罪し、土下座までしたがアタシは許さなかった。許せるはずがなかった。

「一体だれが前の彼氏との間に出来た借金を返して、こんな面倒な子どものいる女と結婚して、その上、家庭的で教養もあって、こんなに家族に尽くしてくれる人なんていないのに、絶対あんたは後悔する! あんたなんかにどれだけもったいない人だったかわかってない!」

その言葉で母親から表情が消えた。

 

そしてこういったのだ。

 

「そんなことは望んでいない」

 

尽くして欲しいなんて思ってない。あなたは私と違ってかしこいから、あの人の話についていけるんでしょうけど、私にとっては彼のいっている言葉の半分以上理解できない。そんな訳のわからない話をされて面白い訳がないし、楽しくなんてない。

ただ、息がつまるだけで、全く幸せなんかじゃない。

 

たんたんと平坦な声で発せられたその言葉が耳にこびりついて離れない。

なにより母親がアタシを見る目を今でも忘れる事ができない。

あれは嫉妬に狂った女の目だった。

 

アタシは足先から全身をはいあがってくる寒気に恐怖で震えた。

そしてどうしようもなく悔しくなって、すぐに家を出た。

 

あれから母親とは会ってはいない。

 

アタシは分かってしまったのだ。

あの人は別に誰かに尽くしたい訳ではない。

ただ愛されたいだけだ。

自分にわかりやすい愛情を注いでくれるなら、それだけで満たされるのだ。

逆にそれがなければ、他の誰よりも飢えてしまう。

飢えきって、今のなんだって捨て去って、次の愛情を探し出す。

愛情というものに依存している。

そういう人なのだ。

 

だから、危ない男の愛人にもなるし、ギャンブル狂の男を彼氏にするし、実直な男性とも結婚をする。自分を愛してくれるから。ちやほやしてくれるからだ。

それが為されなければ、それを邪魔立てするものがあれば、たとえ娘だって、容赦しないのだろう、きっと。

 

ずっと疑問だった。

何故、産んだばかりのアタシを手放さなかったのだろうと。

学もなく、かつての男から逃げている時に、アタシという存在は邪魔でしかないはずだ。

だけど、その事も自分に子どもができて理由がわかった。

わかってしまったのだ。

 

子どもはその存在だけでも、自分の愛情そのものを捧げたくなる存在だ。

そしてそれ以上に子どもは親を求める存在だ。

それは時にとても甘美で、心を潤し、満たされる。

だから、母親はアタシを捨てなかった。

今まで男からもらっていた愛情の全てをアタシから注いでもらう為に。

そうやって自分の存在を守り続けていたのだ。

だからアタシには十分な教育を与えなかったし、母親以外の人間とは最低限しか接する事を許さなかった。幼少期のアタシにとって、母親は神にも等しい存在だった。

文字通り母親が全てだったから。

母親のぬくもりと心音だけが自分が生きていると感じられる、ただひとつのものだった。

けど、あの時感じたこの気持ちはもう全部、裏返ってしまった。

アタシは愛されていた訳じゃない。

アタシは大事にされていた訳じゃない。

ただ、ペットみたいに扱われていただけ。

自分の慰めの道具として置かれていた、ただの人形でしかなかったのだ。

 

ーー最近、アタシは自分が怖い。

 

息子も娘も大きくなってきた。手間もかからなくなってきて、これからどんどんアタシがしてあげられることも少なくなってくる事だろう。

その時にアタシが一体どう思うのかが想像できない。

アタシも母親と同じ行動をとらないと一体だれがいえるのだろう?

 

親離れした子どもと、家族として接する夫をみたときに、アタシはその事を寂しさの中に満足感を覚える事ができるのだろうか?

アタシは子ども時代に母親からしてもらった事が今では気持ち悪くて仕方がない。

そんなアタシがまともに親として最後までやっていけるのなんて分からない。

 

平凡でいたい。

当たり前の事を当たり前に感じたい。

でもそんなものはアタシの中ではとっくに破綻している。

 

バスはまだ帰路に向かい走っている。

その先にはお腹をすかせて待っている子ども達がいる。

彼らの事を愛している。

どうか愛しているといわせ続けほしい。

どうか、誰か、神様でもなんでもいいから、どうか、お願いします。

最後まで優しい夢をみさせて下さい。

どうか、どうか、どうか……。

 

 

 

 

 

 

 

バスとワイとK

小学校の同窓会が開かれる事になった。

運よく、もしくは運悪く里帰りしている時に、偶然にも二十年ぶりくらいに再会した同級生に捕まって、人付き合いを出来る限り避ける傾向がある私を矯正する為に、妻が連絡先交換を半ば強引にすすめ、今回、参加する事になった。

バスの中でゲージにはいった猫をみて、迷惑半分、和み半分でいたところ、SNSの同窓会グループから当日の参加者について、連絡がきた。

 

その中に転校したKがいた。

私の学校は2年制でクラスが変わり、Kとは1年半くらいの付き合いしかない。

だが、当時の日々を思い返せば、そこには常にKがいた。

 

Kは率直にものをいう性格をしていて、器用ではないけれど、誠実な男の子だった。

当時、登下校のピンポンダッシュが流行っていて、他人の家の玄関先のチャイムを誰かが押して、それを合図に走る。スリリングでみんな楽しんでいた。

でも、Kはこのゲームを嫌っていた。

だから、下校中に誰かが急にチャイムを押してもKは走らない。

スリリングでみんな楽しんでいたとはいったが、今思い返せば、クラスメイトの中には運動が得意で目立つ連中がその遊びを流行らせて、逆に運動が苦手な子や、危険な事をして、走らされる事に苦痛を感じていた子もいたはずだ。

でも、普通言い出せるものではない。

子どもの時は楽しいが一番にきて、善悪を指摘するのは常に大人だからだ。

だからKを面白く思わない奴も当然いて、Kはある日、標的にされた。

ピンポンダッシュができる家も、危険度があって、押せばすぐに家から飛び出してくるところがあった。特にある家は鬼瓦と呼んで差し支えないおじさんが出てきて、捕まればこっぴどく怒られ、親にも突き出され、学校にも連絡がいった。情け容赦なしの一番デンジャラスなところだ。

下校時に後方から、Kがついてくる事を見越し、ある子が鬼瓦の家でピンポンダッシュで走った。ピンポンを押すときに予備動作がなかったので、私は怒られてはかなわないと必死だった事を覚えている。

私たちはすぐ近くの横道に隠れて、Kの様子を確認した。

ちょうどKが鬼瓦の家を通り過ぎるところで、そのタイミングですごい勢いで人が出て来た。鬼瓦である。

Kは鬼瓦に捕まえられ、今日は親に明日は先生に怒られるだろうという事に同情していたのだが、一言、二言話した後、何事もなく、そのままこちらに歩いてくる。

その後、みんなはKと合流して、「なんで助かったんだ?」っと聞いた。

「俺じゃないっていった」

その言葉をいったときのKの表情を今でもよく覚えている。

まっすぐな目で当たり前の事を当たり前にいっただけだと雄弁に語っていた。

揺らぎが全くなくて、逆にみんなは揺さぶられてしまった。

暗に「俺じゃない、お前らだろ?」と問いかけられたようで、ぐーの音もでなかった。

それからKはみんなから一目置かれるようになった。

 

Kと私は近所で下校で最後まで帰りが一緒になる事が多かった。

自然会話をする機会も多くなり、家にあがりこむ事も増えてきた。

Kの家は八百屋をしていて、よく店頭にいたおじいさんに「おかえり」と声をかけられていた。

Kの家ではファミコンをしたり、外で走り回ったりしていたが、よくやっていた遊びといえば、あれだ。

野菜や果物の入っていた段ボールをカッターで加工して、鎧のようにし、剣を作った。

それでお互い力の限り殴りあうのだ。

今思うと段ボールとはいえど、目に入ったりしたら危ないし、中々危険な事をしていたのだが、Kも私もはまりにはまり、お互いの鎧越しに剣を何度もうちつけて、段ボールが何度もボロボロになるまで遊んだ。

多少、鎧の隙間に入って、痛がったり、段ボールのお互いの変形具合に笑い合ったりしていた。今考えるとなにしているんだろう? という感じだが、当時はそれが特別楽しかったのだ。

 

ある日、学校の課題で下校の歩数を数えて帰りなさいという宿題が出た。

歩数と足幅で距離を計算させる為のものなのだが、私の歩数は他の近い距離の人間と比べるとかなり少ないものだった。

その事でちゃんと歩数をはからず帰ったんじゃないかとクラスメイトから糾弾され、私は動揺してうまく説明できずにいた。

「あいつは大股で歩いてるんだ。俺はいつもついていくの大変なんだからな」

Kはそうやって私のかわりに説明してくれたのだ。

Kが話すとみんな納得して、私は自分が情けない気持ち半分、Kに対してありがたい気持ち半分という感じだった。

 

そして、今時分の冬先の事、Kは急に転校する事になった。

母親のいる街に引っ越すらしい。

その時になって初めて私はおじいさんとしかKが暮らしていない事を知った。Kは今まで両親と暮らしておらず、今度から母親と暮らすらしいという事だ。

当時の私はKのおかれている状況が複雑すぎて適切な言葉をかえせなかった。

 

Kが去ってから、数ヵ月後、年賀状がきた。

近況が書かれていて、元気にやってる事がかかれていた。

私はそれに対してもなんて返していいのか分からずに、結局、無味乾燥で社交辞令な文言の年賀状を返したように思う。

翌年、私はなんとか自分の近況を噛み砕き、下手くそな文章で年賀状をおくったが、Kからは社交辞令的な文言の年賀状しか届かなくなった。

それっきり、Kとは音沙汰がなかった。

 

今になってKの事をおもう。

Kは小学校時代、祖父の家に預けられ、孤独を感じていたんだろうか。

近所の同級生が遊びに来て、少しは気分が晴れたのだろうか。

ピンポンダッシュが嫌いなのは、いずれ迎えに来る自分の親に期待して、訪問者に裏切られ続けたせいなのだろうか。

段ボールでの戦いはそんな彼に対して、少しでもウサ晴らしになったんだろうか。

再婚した母親にひきとられ、うまくやっていけたんだろうか。

かつての友達に送った近況の手紙に、ちゃんと答えてくれなかった事に対して傷ついてはいなかったのだろうか。

馬鹿な友達の事は忘れて、新しい町でうまく生活できたのだろうか。

 

答えなどわかろうはずがない。

ただそう思ってしまう事にとても苦い思いが心を浸す。

 

私は大人になった。

当時は自分の事を『ワイ』と呼んでいたが、いつのまにか『私』となってしまった。

それだけ立場も変わって、会社では課長になったし、部下もできた。

客観的に物事を判断し、指示をするようになった。

けれど、相変わらず不器用で自分の言葉で人と話すのが得意ではない。

数少ない私の言葉を気持ちとして拾ってくれるのは妻くらいのものだろう。

ただ、不器用でも間違わないように生きていきたい。

しかし、間違わず生きていけているかどうかはわからない。

 

Kから今の私はどうみえるのだろうか。

私から今のKはどうみえるのだろうか。

 

全ては次の同窓会でわかる事だろう。

あわよくば苦味とほろ酔える日であることを願う。

 

 

 

 

 

 

バスと俺様と膝

俺様はバスが嫌いだ。

狭いしきゅうくつだし、その上揺れるし、頻繁に停まって扉を開け、風も冷たい。

いい事がないのである。

 

若い女がまどろんでいるが、ぜひその柔らかな膝の上を堪能したい。

うーん、気持ちいいんだろうな。

だけど、今、そんな事はできないし、驚いてしまうから無理かな。

 

ふとももはいい。

特に若い女のふとももは最高だ。

適度に柔らかくて少し弾力がかえってくる感じがたまらない。

顔をこすりつけて、なめてしまいたい。

大好物である。

 

しかし、狭いところが嫌いな訳ではないが、こうも身動きがとりづらい環境は好きではない。

やはり家が一番であり、お気に入りの場所で、ごろごろしているのが気楽でいい。

邪魔立てするものがいない、優雅な午後の一時を味わいたい。

なんか色々するのが面倒臭いし、ヒッキー万歳である。

その上で若い女の膝があれば、なお、いう事はないのだが。

 

夜になると出かけたくなる時もあるが、今日はそれより早く家に帰りたい。

出先から帰ってくるのが遅くなって、少し疲れた。

病院にいって無理やり注射されたのだが、これが痛いのなんのってない。

医者というやつは嫌いである。

 

大きく欠伸がでた。

けれど、落ち着かないので眠れない。

嫌な感じだ。

 

それに少し腹が減ってきた。

ゴハンも食べたい。

欲求不満である。

 

ガタッ、と音がなったと思ったら、持ち上げられた。

ゲージに入っていた俺様は耳をピクリと動かし、ひげをピンとはる。

もう少しでバスを降りる合図だ。

 

もう少しで家の中で人の膝に丸まって、眠れると思い、俺様は一声、みゃーと鳴いた。