ハンバーガーって孤独じゃない
僕はハンバーガーが好きだ。
焼肉よりステーキよりハンバーグよりハンバーガーが好きだ。
何が好きだって、あの積み重なった味の重層感がたまらなく僕の舌に喜びをもたらす。
バンズの柔らかさに歯を沈め、その後に来るレタスのシャキシャキ感が気持ちよく、トマトの酸味に、パティから染み出る肉汁が口内に流れ込み、ソースの甘辛さが刺激となって、ハーモニーを奏で出す。
口の中でいくつもの刺激が味覚となって合流して、得もいえない多幸感を生み出して、心が満ち満ちてくる。
個人的にはトッピングにアボガドやチーズがあれば最高で、お腹に余裕があればパティをダブルでいきたいところだ。
ビジュアル的にも高さがあり、彩り豊かで、見応えがあり、その形がダイレクトに口の中に納められるのも魅力だろう。
また、それをコーラーなんかで流し込んだら最高だろう。
甘い炭酸が口の中で弾けながら、ハンバーガーの後味を最高に引き立て、これ以上ないジャンクな瞬間を味わえる。
こんなに食べ応えがある食べ物ってないだろう。
けれどハンバーガーが好きな理由はそれだけでは不十分だ。
僕にとってのハンバーガーとは特別なものなのだ。
好きなものだからというより、多分、大人になった今も僕にとって、ハンバーガーは憧れみたいなものだから。
僕の親は食事に対して厳しかった。
好き嫌いというものを認めなかったし、出されたものは必ず皿をきれいにしなければいけなかった。そして、塩分濃度や食事のバランスにもうるさい親だったので、お菓子やジュースといった食べ物にも大きく制約がかかっており、食べられる量や日時などが厳格に決められていた。
駄菓子屋というものがあったけれど、それを購入する事も中々出来なくて、仮にこっそり食べて、それがばれたら大きな罰がまっていたところだ。
なので、ジャンクフードといったものを食べられる機会がほとんどなかった。
その中で半年に一度くらい食べられるのが許されたのがハンバーガーだった。
外食自身がめったになく、大手チェーン店で展開されている玩具がおまけでついてくるという事もあり、親にお得感があったのかもしれない。いつもトレーにのって包装紙でくるまれた楕円形のそれが、まるで宝物のようにきらめいていみえた。
初めて食べた時のおいしさと、少しでも長く味わおうと何度もかみ締めたあの時間、周りの友達が当たり前のように触れいていたものに自分も触れる事ができた喜びを今でも忘れられない。
両親もこの時はジャンクフードを食べる僕を許してくれて、同じ様に弟が喜んで食べている。この瞬間はいつものようにどこか緊張感のある食事風景はなくて、とても穏やかで弛緩した、暖かな日差しのような時間が流れていた。
あの時から僕の中でハンバーガーは特別になった。
だから、親元を離れて一人で暮らしている今の僕にとって、ハンバーガーを食べている時はお腹と胸を一杯にできる。
僕にとってハンバーガーは一人を忘れさせてくれる、そんな味だ。