ろぽん日和

気ままに雑記ブログ

バスとうちと目標

うとうとする。

電車が揺れるたびにあくびがでる。

多分、寝ると起きれない。

 

隣の席の男の子も疲れた表情をしていて、世の中、うちと同じ様に元気がない。

バイトの連勤が続いていて、さっき深夜、朝、夕方までの勤務をおえたばかりなので、仕方ないんだけど。

 

大学生になって、アルバイトばかりしている気がして、これだとフリーターと変わらんな~と、ちょっと自嘲する。

特に明確な目的があって、それだけ働いている訳じゃなくて、ただなんとなく暇な時間がいやで、大学もたいして楽しいわけでもないので、そういう生活が続いている。

 

入学する前は地方から、こっちにやってきて、楽しい事が待ち構えてるのかなと思ったけど、結局そういうのはなくて、新勧コンパも別にどうという事もなく、馴染む事はなかった。

みんなどこかルーズで遊ぶ事ばかり考えていて、基本楽しければOKな感じだった。

そういうのが、なんか苦手だった。

 

今のカラオケのバイト先だと、プロを目指しているミュージシャンがいたり、お笑いの養成所に通う子たちがスタッフにいて、なんだか面白い。

意外とそういう子たちのほうが、他の学生バイトの子たちより、ちゃんと仕事をするし、一緒に働いてて勉強になる事が多い。

 

けど、まあ、所詮、他人の事だ。

私の事ではない。

 

そういう人たちを羨ましいと思っている自分がどこかにいて、その人たちの話を聞いて、自分もそういう夢みたいなものを追いかけているという空気に浸りたいだけなのだ。

 

ああ、空しい。

 

たまにマンションまでの帰路、そういう事をつらつら思ったりするのだ。

こうやって疲れていて、少しリラックスしているときほど、そんな風に思う。

 

なにかをうちはみつけなくてはならない。

でもなにかってなんだろう?

そもそもなんで夢みたいなものがないとこんなに空しい気持ちになるのか分からない。

なんとなく生きて、なんとなく楽しめるって、一つの才能のように思えてくる。

大学の友達とはあまり気が合わないけど、そんな風になんとなく生きてられて、なんとなく幸せを感じられるのなら、それはそれでありなんだろうと思う。

 

私は何故かそういう平凡さを自分の中でもてあます事が多い。

たいして特別な人間だという訳でもないのに、何故か馴染めないのだ。

 

きっと不器用なのだ、うちって。

 

大学を辞めようかなと思ったことがある。

でも大学を辞めたところでやりたい事がみつかる訳でもなく、かえって暇を持て余してしまうのだ。

そして今以上にバイトを入れるんだろう。

それで結局フリーターになって、心の中の穴が大きくなっていくだけだ。

なんの解決にもならない。

 

ならなにをしようか?

もう少しで貯金が百万円に到達する事を思い出した。

それをなんとなくの道標としてやってきた事も。

 

そうやってとりあえずの目標を与えてくれた先輩がいた。

何故かその人の言葉はするりと腹に落ちるのだ。

 

一つ上の女の先輩で、なんでも器用にこなす人で、理系女子のくせに二科展に出展して、受賞したりしている。SNSなんかで、自作したインテリアなんかもアップしていて、それも素敵だったりする。

新歓コンパで飲みすぎたうちを助けてくれて、なんでか不出来なうちのことをかわいがってくれている。

 

とにかくその先輩は自信にあふれていた。

 

そんなふうになりたいなと思いながらも、なにがしたいかよくわかっていないうちには遠い存在だ。

一回そんな事を直接、先輩にいってみたことがあるのだが、一言いわれたことがある。

 

とりあえず旅に出ろ! だそうだ。

 

そんなものでいいのだろうかと自分探しの旅みたいで恥ずかしいと思うのだけど、存外それでいいらしい。

とりあえず百万円近くあるので、ぶらぶらと一人旅でもしてみるかなと、少し思う。

SNSでご当地料理なんかあげて、意外と食い意地のはった先輩をうらやましがらせるのも一興かもしれない。

 

海外は無謀かな?

英語話せないし。

治安がそんなに悪くないところでなければ、スマホがあれば生きていけそうなきもしないでもない。

 

とりあえず先の目標をみつけよう。

そうしてそこまで歩いてみよう。

 

いずれなにかに夢中になるかもしれないし、なんでもない平凡な事に楽しみを覚えるのかもしれない。それは分からない。分からないけど、日々を進もう。

捨て鉢にならないように、空しさにのまれないように、そんな自分を嫌いにならないように、とにかくふらふらとでも前に。

 

せめて下をむかないように、いずれ出会う何かを楽しみにしたい。

今はせめて、そんな風に生きていけたらと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスとおれっちと眠れない長い夜

バスが坂を下っていくにつれ、横揺れも大きくなっていく。

それはまるでおれっちの心を現しているみたいだった。

おれっちは大事なものを失くしてしまった。

 

物心つく前から使っていたもので、未だに愛用していたものだった。

おれっちになんの断りもなく、親が勝手に捨ててしまったのだ。

その時の怒り、悲しみは例えようのないほどだった。

あれだけ叫び倒した記憶は今まで生きてきた十六年間の中ではなく、そのまま家を飛び出した。

 

誰しも古くから愛用しているものがあると思う。

それはぬいぐるみだったり、食器だったり、文房具だったり、おもちゃだったりするのかもしれない。

それぞれにみんな誰しもが語れる思い出というものがその古びた物たちにはそっと封じられ、蓄積されていく。

手に入れた当初は代替がきくものであっても、長年使用していくにつれ、自分自身とのつながりをもつようになる。

おれっちにとって、そうであるものを、本当に大事にしていたものをこの世から葬り去られたのだ。

 

深いため息がでる。

生真面目に本を読んでいる女子中学生のように、おれっちも現実逃避がしたい。

どこか別の世界に妄想をひろげて、現実のあまりにも重い出来事に胸が押し潰されないように。

これからの人生一体どうやって、落ち着いた気持ちでいられたらいいのか、分からない。

あいつに触れいていた時だけが、幸せを感じる事ができたのに。

 

改めてスマホをみる。

そこにはもう戻らないアイツが写っている。

まるで心がかきむしられる様だ。

 

家を出て三日ほど高校をサボって、たそがれていた。

グレてタバコの一本でも吸ってやろうかと思ったが、そんな事をしたらあいつに顔向けできないと思い、やめた。

 

いつのまにかあいつの代わりを求め店にも入ったが、そんな妥協をして、思い出を塗り替えたくなかったので、それもやめた。

 

それでもあまりにも辛く、女子の胸に抱かれて、心を癒そうとしたが、それもおれっちの求めているものではなく、やめた。

 

かわりはいないのだ。

なんとなくそれっぽいものがあふれている、こんな世の中じゃ、思わず自分をごまかしそうになる。

けど、あれじゃないとダメなのだ。

あいつじゃないと。

 

ああ、涙がでる。

 

いまだ色濃く残る記憶が蘇る。

 

くちびるに吸い付くあの感触、ぴったりとおれっちのフォルムに合わせて少しずつ形を変えたこの世で唯一つの存在。

 

OSHABURI。

またの名を『真なる母』。

 

あいつをくわえる事でえられる安眠がどれだけのものか、みんな昔は覚えてたはずだ。

おれっちは今でも、そうだったのに。

あれからおれっちはよく眠れずにいる。

バスの揺れはゆりかごのようだけど、それは深い眠りに誘われない。

 

外は暗くなりはじめている。

今日もおれっちの眠れない長い夜の帳がおりる。

 

 

 

 

 

 

バスとワタシと箱

バスの中に、小さな女の子が腰掛けている。

反応がいちいちかわいくて、マフラーの中で口角が自然とゆるむ。

一緒にいるお母さんは女の子がなにかいうたびに、過敏に反応している様にみえる。

少しやつれてもいるようで、小さな子どもを持つ親がこの季節、倒れてしまっては大変だ。

他人の家の事だけど、少し心配になる。

 

手すりにつかまりながら、最近、新調した眼鏡のブリッジを指で押し上げて、読書に集中しなおす。

 

ワタシは私立中学で図書委員をしている。

図書館特有の古い本にかこまれた静かな空間が好きだ。

あそこだけ切り取られたみたいに、学校の中でも特別の場所で、普段騒がしいだけの友達との付き合いも忘れられる。

 

基本的に人付き合いが苦手だ。

なるべく一人でいたいと思っている。

一静かに本を読みながら、色々と想像を膨らませている時間がとても幸せだ。

でも、人が嫌いだという訳ではない。

人は好きなのだ。

ただ、近くにいすぎると息苦しくなるだけで、人と触れ合う時間を持つ事が嫌なわけじゃない。

いつだって人はみていたいものだから。

 

ただ、多くの場合、本を一人で読んでるときのほうが楽しいのだ。

後はこうやってバスの中で、人間観察をして、どういう人なのかを考えるのが好きだ。

 

今、読んでいる小説は猟奇ミステリーで有名な本で、箱が題材として大きく扱われている。すごく分厚い本だけど、同じ作者のミステリーを読んだことがあり、ぐいぐい物語に引き込まれていく。

 

少女を解体して箱詰めにしていくという概要は知ってしまっているんだけど、それでもそこに至る道筋には目を見張るものがある。

荒唐無稽なのに、そこには悲喜こもごもが詰まっている様に思う。

 

こういう本を読んでいると友達には猟奇的な話が好きなのかと思われるけど、別にそういう訳でもない。

ワタシが好きなのはそこに物語性を感じられるかだけなのだ。

 

物語。

 

普通に生きていると中々、感じる事ができない。

ワタシが若すぎるせいだろうか? まわりの友達が幼すぎるせいだろうか?

世の中が複雑すぎるせいだろうか?

ワタシには面白さが見出せない。

 

自分の人生がつまらないから、本を読んでいる。

そうだ、と言い切ってしまうと、それはそれでどうだろう。

多分、違う。

 

何故ならワタシは自分の人生そのものにはそんなに興味がないのだ。

普通で平凡であればいいと思っている。

ワタシは別に物語の主人公になりたいわけではないから。

ワタシは物語の読み手でいたいからだ。

 

だから、最近、人の人生には興味がある。

 

人の人生を本のように読み解く事に憧れを感じている自分がいる。

ただ、自伝を読みたいと今のところ、思っているわけではなくて、どちらかというと今この場で行われている誰かの人生のほうが面白い気がする。

あまりいい趣味とはいえない。

 

近頃、よく悩み相談を受けている。

普段、寡黙なワタシを真面目だと思って、口を開いてくれたのだと思う。

そのこはクラスの中心的な立場の子で、人望も厚く、優しくてかわいらしい女の子だ。文武もできて先生受けもよく、なにより明るい。

けど、そんな彼女にも少し人にはいえない過去があって、その事を知るきっかけがワタシにはあった。その事実を知っても態度を変えなかったワタシはどうやら彼女から信頼を得た様だ。

それから彼女がクラスメイトから受けた相談事の、また相談をワタシが受ける事が多くなったのだ。

 

だからワタシは今がチャンスなのだ。

 

人の人生を本のように読み解いていく事ができる。

今はただ聞かされているだけの平凡の話だ。

この子はその子がすき、けどあの子もその子が好き。

このグループはこいつがあいつを嫌い、でもあいつはこいつが好き、そういう事を知っている。

そういうどこでもあるような事をワタシは知っている。

ただ、知っているだけだ。

これだと物語としては面白くない。

どこでもある話だ。

 

ワタシは今、箱の話を読んでいる。

箱の話が面白いのは幾人もの登場人物の人生が描かれ、それが箱の話へと集約されていく、そこに一つのカタルシスがあるからだ。

この箱に関わる少女は解体され、幾人もの人間と掛け合わされる事になるようなのだけれど、その為にはバランスをはからなければならない。

 

さて、ワタシはクラスメイトの誰に一体なにを教えようか?

一体どの様に誰が誰を嫌っているかと伝えれば、みんなの中に感情が渦巻くだろう。一体どことどこのグループの関係を崩壊させれば、みんなが同様するだろう。そして、それらを行った人物を彼女にしたてあげるにはどうすれば効果的なんだろう。

その為には彼女の秘密をどこで皆が知る事になるのが一番なのかが重要だ。

 

そうしたら彼女という箱に全ての感情がつぎ込まれることになる。

それをワタシはみてみたい。

その物語をすごく読みたい。

 

もう少しで冬休み。

しっかりと筋書きを考えようと思う。

ああ、すごく楽しみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスとあたちとクマ

あたたかいのはすき。

さむいのはきらい。

 

だから、バスはすき。

おかあさんのヨコにすわってる。

おはなししようとおもったら、おこられた。

やなかんじ。

 

まえでそとをみたい。

けど、おばあちゃんがじゃまでみえない。

まどをさわるとジーンとしてつめたくてビックリする。

 

いきをかけるとしろくなってたのしい。

なんどもしちゃう。

また、おこられた。

やなかんじ。

 

グミがほしいといったら、くれないといわれた。

どうして? っていったら、ゴハンたべられなくなるっていわれた。

たべれるのに、どうして? っていったら、ダメなものはダメっていわれた。

 

ぐっとオナカがあつくなってナミダがでる。

そしたらグミをひとつくれた。

うれしくてだきついたら、おかあさんわらってた。

いいかんじ。

 

おとうさん。

おとうさんはつめたい。

 

だっこをおねだりしてもしてくれない。

てもにぎりかえしてくれない。

せなかにのってもはいはいしてくれない。

なにもしてくれない。

 

まえはあんなにあたちとあそんでくれたのにかなしい。

ないてもなにもいってくれない。

かまってくれない。

 

おとうさんはクマさんみたいにおおきい。

おおきなてであたまをなでられるのがすき。

おとうさんとてをつないでおでかけするのはたのしい。

 

けどだめ。

いまはだめ。

もうオウチにいないから。

 

おかあさんはおとうさんはクマだからトウミンしにいったんだよっていった。

あいにいったらダメなの?っていったら、だれかがおこしにいっちゃうとおとうさんはつめいたいままになっちゃうからダメっていわれた。

だれにもこのことをはなしたらダメだよって。

 

だからあたちはハルをまってる。

おとうさんうごかなくなって、さわったらアイスクリームみたいにヒンヤリしてたのは、フユだったから。

あたちがいないあいだにオウチからいなくなったけど、どこかでフユゴモリしているんだ。

 

さむいのはきらい。

あたたかいのはすき。

 

あたちのクマサンはやくこないかな?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスとあたくしと祖先

先程、乗合バスに乗車した若い男子はあたくしの前に寄りかかるように座りました。

みるからに体調不良の様子で、乗車時にみせた顔色は青白く、停留所までくるのにも一苦労だったのでしょう。

大学生程の年齢と見受けられまして、彼が地方からきた男子だと想像できます。

総合病院前の停留所に停まる前に一言声をかけてみましょう。

それを本人が欲しているかは分かりませんが。

 

あたくしは今年、古希となりました。

時が経つのは早いもので、残された人生が僅かなものとなりますと、自らの人生を振り返るものです。

 

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
 よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
 世の中にある人と栖と又かくのごとし』

 

方丈記の冒頭の一節ではございますが、この年になりまして、正にその通りであると日々実感するところです。

浅学ではございますが、あたくしが理解するところでは作者、鴨長明の生きた時代は都で起こった天災、飢饉、福原遷都という世の人々が翻弄される出来事が重なった時分でございます。

この冒頭では「全てのものは移り変わり、いつまでも同じ物はない。それは家も人も同じである」と語られております。

世情を現したその一文に今のこの時代、あたくしが昔いた村の事も思わずにはおられません。

あたくしの暮らしていた集落で我が家は屋号を<村上>、庄屋として過ごしておりましたそうです。あたくしが幼少の頃には戦後の農地改革にて、二束三文で田畑を買い取られました。過去の暮らしとなっていたものでございます。

ただ、昔からの蓄えもございましたので、戦後すぐの生まれではございましたが、ひもじい思いをした事はございません。

三女、五番目の子どもとして産まれたあたくしは、その年では運よく女学校にも通わせてもらい、成績も悪くはなかったので、先生の推挙で都市銀行に事務員として就職しまして、仕事終わりに町の活気を楽しませて頂きながら、いい伴侶にも恵まれまして、寿退社をし、一男二女の子をもうけ、平凡ではございますが幸せな家庭を築かせて頂きました。

唯一つ不幸があった事は夫が還暦を迎える頃には息を引き取りまして、もう少しの時間、二人で老後を楽しむ事ができなかった事だけが残念でなりません。

夫の記憶が残る家にとどまり続けたあたくしではございましたが、一度病を患った事から、娘夫婦のすすめもあり、今はまた娘夫婦と共に新たな町で暮らさせて頂いております。

 

あたくしが住む三番目の町は新たな都市計画区域となりまして、町は発展していくばかりでございます。

いいえ、この町だけではなく、人々は利便性を追い求め、色々な場所を開拓し、整備し新たな住居環境を整え、生活する為に必要なものをひきつめていくことをやめようとはしません。

日本という国は一度、敗戦国になりながらも、経済では優秀さを勝ち取り、とても裕福な国になりました。素晴しい事だと思います。

ですが一方で、歴史あるものに対する理解を損ない続けている気がします。

それは文化であり、人が伝承してきたものです。

利便性を勝る為に全ての時間を小刻みに管理し、その時間と密接するものだけを積み上げ、遠い過去の財産については思いが中々及ばない。

 

方丈記の冒頭、今のこの国、あたくしのいるこの場所は正にその通りでございます。そしてそれは天災でもなく、為政者の行いだけでなく、民草であるあたくしたちそのものが今、引き起こしております現象です。

今のあたくしたちは一体なにに根ざし、今何をして、どこへ行こうというのでしょうか。

 

今の世の中は西洋ごとでございますとクリスマスやバレンタイン、最近などはハロウィンなどがございます。こういった催しは年を重ねるごとに増えていく傾向にございます。これらのイベントは楽しく、孫たちとも愉快にすごせるものですね。

しかし一方では日本古来の行事というものが廃れていってございます。

例えば法事なども一族集まってというのも少なくなっていると聞いております。

 

楽しむ事はよき事と思いますが、多分に刹那的でございます。

一方日本の慣わしというものは、より大きな時間に自らを委ねる事でございます。

それは四季や自然の雄大さであったり、祖先を想う心です。

日々忙しく生きている今と過去の繋がりを認識できる大切なものなのです。

 

あたくしは今の世の中に然程悪いものだとは思っておりません。

ただ、このような分断された時間の生き方は年老いゆくものに対し、ただ終わりを告げるだけのものになります。

それはとどのつまり今の老人達は自らの今しか考えなくなるという事です。

そのことが未来を作る子ども達に与える影響の大きさは計り知れないものがあると思います。

ですからあたくしはこの国のかついてのあたくし達が残したものを理解し、残していく事をしなくてはなりません。過去を尊重し、祖先を敬わずして、一体子ども達に何を伝える事ができるでしょうか。

 

あたくしに出来る事は微力ながら、ささやかな事ではございます。

老婆の身の上で体力もございません。

一先ずは寝入った目の前の若者に声をかけてあげましょう。

 

 

 

 

 

 

バスとオイラと熱

ぼーっとした頭で視線を彷徨わせると、ちょっと好みな年上のお姉さんがいた。

バスが揺れても、すました顔は変わらず、世の中の全ての出来事については私と関係ありませんといった様な風貌だった。

仕事ができそうだけど、笑うと幼くみえそうな感じがして、それに心が打ち抜かれてしまいそうだ。

実際どんな人かは知らないけど、そうやって想像する事は自由だし、今は体が弱っていて、ふわふわと思考が展開される。

 

この春から大学生となり、近くの学生向けのマンションで暮らすようになって、初めての冬を迎えることになった。

地元から親に引き連れられて予算第一で大学に近いという条件の下、選ばれたマンションは古く1Kでそんなに広くはない。ただ、去年リノベーションしたばかりで内装は新しく住みやすい。

バルコニーにでる掃き出し窓も部屋一面を通るくらいに広く、南部屋で明かりも取れる。春先の暖かい光が室内一杯に差し込んで、気持ちよかった。

これは掘り出し物だという事でその後、すぐに契約したのだが。

いかんせん、アルミサッシとガラスが安物で、断熱性がなく外にいるのと変わらないくらい部屋が冷え込んだのだ。

運の悪い事にエアコンも壊れてしまい、暖をとる術が奪われ、実家から持ってきた電気ヒーター一つじゃあクソの役にも立たない。

そうこうしている内に風邪を引き、微熱がでて、それでもお金のないオイラは病院に行く事を渋っていると、みるみる悪化させて本日熱が39度を超えた。

背に腹は代えられないので、近くの内科にフラフラと歩いていったのだが、運の悪い事に休業の看板がぶら下がっていた。

それをみて意識が遠のきかけたが、倒れてしまうわけにもいかず、かすむスマホの画面をフリックしながら、遠方の病院をみつけて、今、バスに乗っている訳だ。

 

まだ聞き慣れない町名を運転手が読み上げるが頭に残らない。

気づかずにこのまま乗り過ごしてしまったら、オイラはこのままどうなってしまうのだろうかと考える。

そうすると急に心細くなるのだ。

 

一人暮らしをして親元から離れ、寂しいと思った事はないが、やっぱり人間弱った時は誰かに頼りたくなる。今なら口うるさい母親の事をババアとは呼ばず、お母様と呼ぶ自信がオイラにはある。

照れ隠しなく感謝しかしないはずだ。

 

結局のところ、この町に引っ越してそれなりにたつけど、こういう時、素直に頼れる相手がいない事に気づく。

サークルにも入ったし、バイト仲間もいるし、それ以外にも知り合った大学の友達もいる。

けど、なんだろう、こういった時に素直に甘えられない自分がいた。

寂しいとは思うのに、彼らを頼ろうとは思わないのだ。

 

この前、別れた彼女にいわれた一言を思い出す。

 

「なに考えているか分からない」

 

付き合った当初、彼女はオイラの事を優しいといった。

話も聞いてくれるし、私の行きたいところにも付き合ってくれるし、それとなく私の好きなものがなんなのかも探り当ててくれる。

一緒にいて居心地がいいと。

 

けど、段々と彼女は自分の事を話さなくなり、何かを要求する事もなくなってきた。

オイラは彼女の話が聞きたかったし、彼女の為にしてあげられることがあるのが楽しかった。必要とされる事の喜びを感じられて、尽くす事に夢中だったように思う。

 

けれど、ある日彼女から別れが告げられた。

オイラは彼女の言葉を飲み込めはしなかったけど、そう望むのならと理解を示した。

「仕方ないね」といった。

 

その事で彼女を怒らせて、最後にひっぱたかれたのはまだ痛々しい思い出だ。

 

なんでこんな事を思い出すんだろう?

 

とりとめもなく思考がゆらゆらして、体が弱っているから、いやな事を思い出すのだろうか。本当、高熱って最悪だ。

はははっと荒れた喉から、声にならない音がマスクに吸い込まれ、外には発せられない。

 

そう、外には発せられないのだ。

オイラの本音は。

 

相手のことを慮り、相手の為に言葉を紡ぎ、相手の為に動き、相手の為に作り上げ、相手の為に自分を捧げるのだ。

オイラはそうやってしか生きてこられない。

 

必要とされたい。

オイラはただそれだけを求めている。

 

だから、誰かに自分の弱みや弱音をはけない。今みたいな情けない姿をみせる事なんてできない。そんな事をしてしまったら自分が不要だと思われるかもしれない。

また、捨てられるかもしれない。

あんな想いをするくらいなら、死んだ方がマシだ。

 

短絡的な思考すぎて、簡単に死ぬなんてできないくせに、こんな自分がいやになる。

 

外では上品で家では家庭内暴力の耐えない夫、それに耐える妻、妹と二人でいつ明けるのかわからない長い夜をすごすオイラ。母親に対してのいきすぎた暴力、体が勝手に父親に向かい、オイラも殴られるようになる。

少したって妹を連れて蒸発した母親。

取り残された父と息子。

その後の事は思い出したくない。

記憶が断片的になる。

自分の存在が細切れになって、どんな子どもだったのかちゃんと思い出せない。

ただいつも休日が怖くて、ただ怖くて、逃げ道がなくて、何故一緒に連れて行ってくれなかったんだと思う自分がみじめで、痛みと恐怖で、チカチカと頭の中に赤と黒の光が明滅する。

 

そして、オイラはそんな父親にも捨てられた。

ドアは開かず、窓は密閉された状態で。

 

そこからどうやって出てこれたのか分からない。

思い出せない。

オイラを養子として引き取った母方の叔母――今の母親は「思い出さなくていい」といった。

 

叔母がオイラを人間にしてくれた。

感謝しきれないものがある。

叔母だけが一身にオイラを愛してくれた。

だけど、その為に犠牲にしたものが叔母にはある。

時間だ。

とてもかけがえのない時間だ。

本来なら伴侶となる人ができて、自分の子どもを育てていく事ができた時間だ。

オイラをひきとることで当時の彼氏と別れた事も知っている。

けれどオイラが高校時代に叔母には新しい彼氏ができたのをオイラは知った。

だから、家を出るべきだと思った。

これ以上は駄目だろうと思ったのだ。これ以上重荷になるわけにはいかないと、これ以上甘えるわけにはいかないと。

 

ーー違う。

ーー違うな。

オイラは叔母に不要だと思われたくなかった。

新しい彼氏ができて、その人とうまくいって、具体的に結婚の話にまですすもうとした時にオイラが邪魔になるなんて思われたら、叔母にそう思われたりしたら、気が狂ってしまう。

 

だからオイラは昼夜なく必死で勉強した。

奨学金ではいれる大学に受かり、家賃と生活費もバイト代から支払うようにした。

 

今、オイラはかつてなく自由だ。

誰かに束縛されるわけでもなく、誰かを束縛する存在でもない。

けれど、生き方が変えられない。

どうしても駄目だ。

この世界での自分の居場所がみつけられない。

今でもまだ父親に閉じ込められたあの部屋の中にいるみたいに思えてくる。

 

分かってる。

これは全部熱のせいだ。

高熱を発したからこんな風に思ってしまうのだ。

叔母--母親に甘えたいなんて思ってしまったのも、そのせいだ。

 

だから、大丈夫。

病院にいって解熱の注射をうってもらって、薬をもらい、ゆっくり寝たら、大丈夫。

オイラは大丈夫。

まだ生きている。

本当は死にたくなんてないんだから。

大丈夫。大丈夫。大丈夫……。