コーヒーはストレスの友である
社会人になってコーヒーを飲む事が増えた。
学生時代はカフェに行く事があれば、まわりがコーヒーを頼むので、雰囲気にのせられて注文していたので、決して味わってはいなかった。苦くて喉の通りも悪い飲み物だという印象で、わざわざミルクや砂糖をたして飲みやすくするくらいならジュースでも飲んでいる方がましだと思っていた。
アイスコーヒーはまだ許せても、ホットコーヒーはもう苦味をはっきりと感じてしまうので、どうにも苦手だった。
そんな自分が企業人になって、ことあるごとにコーヒーを飲み、はじめはインスタントで許せていたのが、ドリップバッグで飲まないと気がすまなくなってきた。しかも無糖でノンミルク、ブラック一筋だ。
今やコーヒーの苦味と酸味を感じないと朝の始業がはじめられない体になっている。
でも、おいしいかといわれると、どうもしっくりとはこない。
苦味を楽しめるようになったのは間違いなくて、ケーキなんかの甘みと苦みが混じり合った時なんかはまだ、おいしいと思えるのだが、普段ブラックで飲んでいる時においしいと思って飲んでいる感じではない。
俺にとって、コーヒーとは一息のようなものなのだ。
始業開始前の仕事モードへと切り替える前の一杯、仕事が立て続けにあって、一時の休憩の為の一杯など。こう述べていくと煙草を吸う人間のパターンと酷似していて、コーヒーとの相性がいいのだろう。コーヒー缶、片手に煙草を吸うとうまい、という人間がいるが、きっと親和性が高いのだ。
後、特にストレスを感じている時にコーヒーを飲む回数が如実に増える。
仕事が修羅場っている時や、人間関係がこじれてる時はコーヒーをがぶがぶ飲む。
でもそういう時の一杯って、なんだかおいしくはないのだ。
カフェインはストレスを中和すると聞く。
そしてカフェインは苦味がある。
そうするとコーヒーが手放せなくなったのは、体が大人になって味覚が変わったというより、社会人になってストレスが増えたせいでコーヒーが手放せなくなったという事になる。ようはとても不健康な生活を今現在、自分は送っているという事だ。
コーヒーがなくても生活できる人生が俺にとっては幸せなのかもしれない。
けど、生活するためにはストレスな日々に身を投じなくてはならない。
そういう事を考えているとコーヒーが飲みたくなってくるので、重症なのかもしれない。
色々、考えると今の自分がちょっと好きになれそうにない。
どうにか苦いのが苦手な昔の自分に戻りたい今日この頃である。