バスとボクと裏山
里帰りの事を考えていた。
今年の年末年始に実家に帰省するのだが、どうだろう?
先延ばしに出来ないだろうか。
親がうるさいのでそれは許されないよなーと思う。
多分、戻らないと生活費振り込まれなくなりそうなのが、怖いので、無理だ。
夏休みの時はなんとか逃げ切れたけど、今回はうまい理由がみつからない。
まあ、実家から出なければいいか。
偶然会う事もないだろうし。
高校三年生の卒業式の事を思い出し、ため息が出た。
隣に座っているおばさんはどこか物思いに耽っている様だが、こちらも負けじとって感じだ。
高校生活、最後の一年で仲のいい女子がいた。
その子は、どこにいても目立つ子で、クラス内でもヒエラルキーの高い集団の中にいて、みんなから注目されるような立ち位置の子だった。
僕はというと、友達も少ないし、特徴らしい特徴もない。目立たなくひっそりと貝みたいにクラスでは過ごしていた。
接点なんてなかったのだけど、あれは夏休みが始まる前の事だったと思う。
その日は図書館で大学の推薦で必要な小論文の勉強していて、帰りが遅くなっていた。
ゆっくりと沈んでいく初夏の日没がきれいで、少し寄り道をして帰ろうと思ったのだ。
学校の裏山からきれいにのぞけるスポットがあったので、そちらに足を向けた。
その道中に泣いている彼女と出会ってしまった。
沈みゆく夕焼けをバックにして、うろこ雲が放射状に広がり、その真ん中に一人立って、泣いていた。とても儚いものをみた気がした。
制服からみえるその細いシルエットと、少しウェーブがかかった金糸のように色づいた髪がきらきらと輝いて、濡れた瞳が大きく揺れて、光を散らす。
目に焼きついて、はじめて人間に釘付けになった。
ボクは本当は立ち去るべきだったんだけど、呆けてしまって、彼女に気づかれた。
何事もないように振舞って、泣いている理由なんて聞ける訳もなくて、ハンカチだけ渡して、ボクはその場を後にした。
次の日に彼女からハンカチをかえされて、挨拶くらいするようになった。
ちゃんと彼女と話したのは、その二週間後、また学校の裏山での事だった。
他愛もない話をした。彼女の好きなドラマの話や、好きな芸能人の話、好きな食べ物など、主に彼女がなにが好きかという話だった。
その中でも、特別好きなのが彼女の姉であるという事だ。7つほど年の離れた姉妹で、姉からはとてもかわいがられたらしい。両親が共働きで多くの場面で、彼女を育ててくれたのは姉だったようだ。
子どもの時に姉からもらったピンキーリングを今も大事にお守りがわりにポーチにいれているといっていた。
その姉は一年前に結婚して、今は妊娠して実家に戻っているらしく、旦那さんは少し離れた場所に住んでいるそうだ。
姉の話をしている時の彼女の顔はとても楽しいそうで、嬉しそうだった。
普段大人びてみえる彼女が幼くみえてしまうくらいに、相手の事を深く信頼しているのが分かった。ただ、時折、白い食器に僅かにヒビが入るような、それこそ見る位置を間違えれば見落としそうなくらいの、悲痛がにじんで見えた。
何度もその裏山で話していくうちに、彼女が悩んでいる事が分かった。
彼女には好きな人がいた。
誰が好きなのかというと、最悪で姉の旦那を好きになったらしい。
一目惚れだったようだ。
はじめて会ったその時にどうしようもなく好きになってしまったらしい。
もうかれこれ一年片思いをしている。
けれど、最近、姉のかわりに旦那の家に家事をしにいったそうだ。
姉から様子をみてくるように頼まれて、スマホからの連絡に齟齬がないかを確認にいった。しかしそこで旦那と彼女には関係ができてしまった。最後までは及ばなかったようだが、明らかに気持ちの入った行為に及ぼうとした様だ。
ボクはその事を聞いても、彼女を責めなかった。
彼女にとってボクは井戸だ。
友達や家族には話せる内容ではないから、ただ秘密をぶちまけて、聞いてほしいだけなのだろう。
王様の耳がロバだからといって、ボクは誰かに吹聴するつもりなんてない。
ボクが吐き出したいのはそういう事ではない。
彼女は微妙な関係になった旦那と関係を戻せずに苦しんでいた。
話を聞いている限りでは旦那は彼女が自分を好きな事を察していて、二人きりの時に関係を迫ったようだ。その時に流されそうになった彼女はなんとか、自制したようだが、それでも気持ちが駄目だといっていた。
嫌いになれないと。
今でも好きだと。
最低な事をする人なのに……でも許してしまいそうになる自分が怖い。
そういっていた。
彼女との帰り際に偶然その旦那と出会った。
そこでもっともらしく気遣いのできる大人を演じ、自分の車に彼女を乗せようとした。ボクは持っている鞄をフルスイングして、旦那のこめかめを打ち抜き、「少しはこいつの気持ちも考えろ!」と人通りの多い往来でボクは彼女の手を掴んで、そのまま走って逃げた。
その後、その事が問題になって学校に呼び出され、推薦は諦めなくてはならなくなった。また、往来で大の大人を殴り飛ばして怪我をさせたと、危ない奴認定を受けて、クラスでは浮いた存在になった。
田舎の高校だったおかげで、その手の話しはまわりやすい。
まあ、いい。
どうせたいして友達もいないし、合格した大学はここから遠く離れたところになる。
あれから彼女とはロクに話をせずに別れた。
裏山にいかなかったし、連絡先も交換していなかったので、関係は切れた。
でも、いいのだ。
彼女はきっと怒っているだろうけど、後悔はない。
殴り飛ばして、怒鳴りつけた時の旦那の顔を思い出す。
バッタみたいに仰向けなって、怒鳴られた俺の言葉に怯えていた。
非常にみっともない様だった。
他人に不倫未遂行為がばれそうになって、みっともなくうろたえている顔だったから。
あれをみて少しは彼女の熱が冷めてしまう事を願う。
ボクははじめクラスメイトである彼女の事をなんとも思っていなかった。
ただクラスが一緒なだけで、目立つ意外のことは知るよしもなかった。
でも、あの時、初夏の日没でみた彼女のあの姿に心を鷲掴みされた。
ああ、人を好きになるって理屈じゃないんだなっと思った
そして、大好きな姉の夫であるその人と関係を結びそうになる彼女に対して、最低な気持ちになるのに嫌いにはなれない。
結局、彼女とボクは同じ様なものだ。
だから今回のはボクのエゴだ。
好きな人間が堕ちていく姿なんてみたくないから、あんな風に衝動で動いてしまった。そして、それでも仮に彼女が旦那の事を忘れられないというのなら、多分ボクは受け止めきれないのだ。
だから、ボクは彼女と何も話さず、町を出た。
本当、勝手な男だなボクは。
そして地元に戻りづらいのも僕がまだその事を割り切れずにいるからだ。
どこかで彼女の話を聞いてしまいたくないと思ってしまっている。
本当、情けない男だな、ボクってやつは。
まあ、いいや。
そもそも友達が少ないボクが、他の人からヒエラルキーの高かった彼女のプライベートな話を聞ける立場にはいまい。
それに実家では寝正月ですごせばいいだけの話だ。
そうやって気持ちもねかせておこう。
いずれ区切りがつくその時まで。