バスとおれっちと眠れない長い夜
バスが坂を下っていくにつれ、横揺れも大きくなっていく。
それはまるでおれっちの心を現しているみたいだった。
おれっちは大事なものを失くしてしまった。
物心つく前から使っていたもので、未だに愛用していたものだった。
おれっちになんの断りもなく、親が勝手に捨ててしまったのだ。
その時の怒り、悲しみは例えようのないほどだった。
あれだけ叫び倒した記憶は今まで生きてきた十六年間の中ではなく、そのまま家を飛び出した。
誰しも古くから愛用しているものがあると思う。
それはぬいぐるみだったり、食器だったり、文房具だったり、おもちゃだったりするのかもしれない。
それぞれにみんな誰しもが語れる思い出というものがその古びた物たちにはそっと封じられ、蓄積されていく。
手に入れた当初は代替がきくものであっても、長年使用していくにつれ、自分自身とのつながりをもつようになる。
おれっちにとって、そうであるものを、本当に大事にしていたものをこの世から葬り去られたのだ。
深いため息がでる。
生真面目に本を読んでいる女子中学生のように、おれっちも現実逃避がしたい。
どこか別の世界に妄想をひろげて、現実のあまりにも重い出来事に胸が押し潰されないように。
これからの人生一体どうやって、落ち着いた気持ちでいられたらいいのか、分からない。
あいつに触れいていた時だけが、幸せを感じる事ができたのに。
改めてスマホをみる。
そこにはもう戻らないアイツが写っている。
まるで心がかきむしられる様だ。
家を出て三日ほど高校をサボって、たそがれていた。
グレてタバコの一本でも吸ってやろうかと思ったが、そんな事をしたらあいつに顔向けできないと思い、やめた。
いつのまにかあいつの代わりを求め店にも入ったが、そんな妥協をして、思い出を塗り替えたくなかったので、それもやめた。
それでもあまりにも辛く、女子の胸に抱かれて、心を癒そうとしたが、それもおれっちの求めているものではなく、やめた。
かわりはいないのだ。
なんとなくそれっぽいものがあふれている、こんな世の中じゃ、思わず自分をごまかしそうになる。
けど、あれじゃないとダメなのだ。
あいつじゃないと。
ああ、涙がでる。
いまだ色濃く残る記憶が蘇る。
くちびるに吸い付くあの感触、ぴったりとおれっちのフォルムに合わせて少しずつ形を変えたこの世で唯一つの存在。
OSHABURI。
またの名を『真なる母』。
あいつをくわえる事でえられる安眠がどれだけのものか、みんな昔は覚えてたはずだ。
おれっちは今でも、そうだったのに。
あれからおれっちはよく眠れずにいる。
バスの揺れはゆりかごのようだけど、それは深い眠りに誘われない。
外は暗くなりはじめている。
今日もおれっちの眠れない長い夜の帳がおりる。