ろぽん日和

気ままに雑記ブログ

バスとあたくしと祖先

先程、乗合バスに乗車した若い男子はあたくしの前に寄りかかるように座りました。

みるからに体調不良の様子で、乗車時にみせた顔色は青白く、停留所までくるのにも一苦労だったのでしょう。

大学生程の年齢と見受けられまして、彼が地方からきた男子だと想像できます。

総合病院前の停留所に停まる前に一言声をかけてみましょう。

それを本人が欲しているかは分かりませんが。

 

あたくしは今年、古希となりました。

時が経つのは早いもので、残された人生が僅かなものとなりますと、自らの人生を振り返るものです。

 

『ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。
 よどみにうかぶうたかたはかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。
 世の中にある人と栖と又かくのごとし』

 

方丈記の冒頭の一節ではございますが、この年になりまして、正にその通りであると日々実感するところです。

浅学ではございますが、あたくしが理解するところでは作者、鴨長明の生きた時代は都で起こった天災、飢饉、福原遷都という世の人々が翻弄される出来事が重なった時分でございます。

この冒頭では「全てのものは移り変わり、いつまでも同じ物はない。それは家も人も同じである」と語られております。

世情を現したその一文に今のこの時代、あたくしが昔いた村の事も思わずにはおられません。

あたくしの暮らしていた集落で我が家は屋号を<村上>、庄屋として過ごしておりましたそうです。あたくしが幼少の頃には戦後の農地改革にて、二束三文で田畑を買い取られました。過去の暮らしとなっていたものでございます。

ただ、昔からの蓄えもございましたので、戦後すぐの生まれではございましたが、ひもじい思いをした事はございません。

三女、五番目の子どもとして産まれたあたくしは、その年では運よく女学校にも通わせてもらい、成績も悪くはなかったので、先生の推挙で都市銀行に事務員として就職しまして、仕事終わりに町の活気を楽しませて頂きながら、いい伴侶にも恵まれまして、寿退社をし、一男二女の子をもうけ、平凡ではございますが幸せな家庭を築かせて頂きました。

唯一つ不幸があった事は夫が還暦を迎える頃には息を引き取りまして、もう少しの時間、二人で老後を楽しむ事ができなかった事だけが残念でなりません。

夫の記憶が残る家にとどまり続けたあたくしではございましたが、一度病を患った事から、娘夫婦のすすめもあり、今はまた娘夫婦と共に新たな町で暮らさせて頂いております。

 

あたくしが住む三番目の町は新たな都市計画区域となりまして、町は発展していくばかりでございます。

いいえ、この町だけではなく、人々は利便性を追い求め、色々な場所を開拓し、整備し新たな住居環境を整え、生活する為に必要なものをひきつめていくことをやめようとはしません。

日本という国は一度、敗戦国になりながらも、経済では優秀さを勝ち取り、とても裕福な国になりました。素晴しい事だと思います。

ですが一方で、歴史あるものに対する理解を損ない続けている気がします。

それは文化であり、人が伝承してきたものです。

利便性を勝る為に全ての時間を小刻みに管理し、その時間と密接するものだけを積み上げ、遠い過去の財産については思いが中々及ばない。

 

方丈記の冒頭、今のこの国、あたくしのいるこの場所は正にその通りでございます。そしてそれは天災でもなく、為政者の行いだけでなく、民草であるあたくしたちそのものが今、引き起こしております現象です。

今のあたくしたちは一体なにに根ざし、今何をして、どこへ行こうというのでしょうか。

 

今の世の中は西洋ごとでございますとクリスマスやバレンタイン、最近などはハロウィンなどがございます。こういった催しは年を重ねるごとに増えていく傾向にございます。これらのイベントは楽しく、孫たちとも愉快にすごせるものですね。

しかし一方では日本古来の行事というものが廃れていってございます。

例えば法事なども一族集まってというのも少なくなっていると聞いております。

 

楽しむ事はよき事と思いますが、多分に刹那的でございます。

一方日本の慣わしというものは、より大きな時間に自らを委ねる事でございます。

それは四季や自然の雄大さであったり、祖先を想う心です。

日々忙しく生きている今と過去の繋がりを認識できる大切なものなのです。

 

あたくしは今の世の中に然程悪いものだとは思っておりません。

ただ、このような分断された時間の生き方は年老いゆくものに対し、ただ終わりを告げるだけのものになります。

それはとどのつまり今の老人達は自らの今しか考えなくなるという事です。

そのことが未来を作る子ども達に与える影響の大きさは計り知れないものがあると思います。

ですからあたくしはこの国のかついてのあたくし達が残したものを理解し、残していく事をしなくてはなりません。過去を尊重し、祖先を敬わずして、一体子ども達に何を伝える事ができるでしょうか。

 

あたくしに出来る事は微力ながら、ささやかな事ではございます。

老婆の身の上で体力もございません。

一先ずは寝入った目の前の若者に声をかけてあげましょう。